02.危険は迫る

 飛空艇の墜落現場を目の当たりにした少女は、いてもたってもいられなかった。あんなに大きな飛空艇ならざっと200人は乗れるだろう。そんな大人数を乗せたものが落っこちるなんて思いもしなかったし、落ちたら落ちたでたくさんの怪我人が出るだろう。考えたくはないが、墜落の衝撃からして怪我では済まない人だって少なくはない筈だ。
 目の前で人が苦しんでいるのを見て見ぬ振りもできない。自分の行動で人の命を救えるならそうしたい。少女はその一心で巨大な鳥を墜落した飛空艇まで向かわせた。



 ――――が、何を思ったのか、なんの指示も出していないのに巨大な鳥は突然進路を変えた。飛空艇へ向かう直線から少し外れて、そのまままっすぐ飛び始めたのだ。
 少女は一瞬自分が何か間違った指示をしたのだと思った。飛空艇へ急ぎ焦る頭でそれは違うと判断した直後に、声を荒げてそれを叫んだ。

「どこ行くの、飛空艇は向こう!!」

 腕を痛いくらいにまで伸ばし、赤く染まったようにも見える森の一点を指差す少女。しかし巨大な鳥は少女の言葉に反応さえしない。なおも自ら変更した進路をまっすぐに突っ切っていく。

「言うことを聞いて!!」

 叫んだ声も巨大な鳥には届かない。それから何度も何度も飛空艇へ向かうよう指示したが、巨大な鳥は完全にそれを無視した。



 飛空艇が墜落してどれほど時間が経ったかは、色々な思考に阻まれて考える余裕もない。今どれくらいの人が助けを求めているだろう、どれほどの血が流れているだろう。そう考えただけで怖くなった。
 少女が乗っているのは遥か上空を飛ぶ巨大な鳥。降りようにも降りられず、成す術もない少女はただ巨大な鳥の背中を睨むばかりだった。



 何度も繰り返し同じ指示を叫んだが、結局少女の言葉が巨大な鳥に届くことはなかった。
 助けなくてはと思う一心なのかはわからないが、叫び続ける喉の痛みも忘れ、もう一度巨大な鳥に指示しかけたその時、巨大な鳥の動きが変わった。
 墜落した飛空艇の近くに比較的木が少なく、小高い丘のような所があった。視界の端に見えていたそれがだんだんはっきりと見えてくるのだ。それに伴って足の先から頭に向かって強い風が駆け抜けていく。
 巨大な鳥が、降下をし始めたのだった。
 みるみるうちに自分が見ていた小高い丘のような地面は大きくなっていく。しかしそれほど時間が経たないうちにその大きさは変わらなくなり、下から吹く風もぴたりと止んだ。
 気がつけば巨大な鳥は普通の鳥にはない前足でしっかりと着地していた。鋭く長い鉤爪も湿り気のある苔むした地面に食い込んでいる。降下していた時に聞こえたバサバサという音が今更耳に届いたような気がした。

「……一体どうしたの? どうして私の言うことを……ううん、どうしてこんな所に降りるの?」

 少女はおもむろに巨大な鳥に尋ねた。反応のない様子を見つめながら、困却する少女は慣れた手つきで巨大な鳥の背中から降りる。湿った地面がべチャリと音を立てた。

「火が嫌なの……? それとも何か嫌なことがあった? 私が何かしたの?」

 今までにこんなに指示に背くことなんてなかった。一体どうしてしまったのかと心配そうに巨大な鳥の羽に手をやるその一方で、近くの紅く染まった森では別の赤い何かが今も流されていると考えるとやはり怖くなった。
 巨大な鳥はやはり少女の言葉に反応しなかった。ただある一点を見据えたまま微動だにしない。少女はその巨大な鳥の様子が少し変に見えた。見慣れない土地には敏感なはずなのに……。そう思って彼女は巨大な鳥が見据えている場所に目を向けてみる。



 心臓が、大きく一度ドクンと震えた。

「あ……」

 意識していない声が漏れ出た。巨大な鳥が見据えていた先、自分が今両の目に写している場所。
 そこには人がうつ伏せに倒れていた。



 次の瞬間には少女は動いていた。走る拍子に地面から跳ね上がる泥を気にも止めず、倒れている人の元へ駆け寄っていった。



 墜落した飛空艇から近い場所だということからして、おそらくはその乗船者だろう。少女はしゃがみ込んでその人の様子を見た。暗くてよくは分からないが、後ろで束ねられた髪は金髪。そこだけ見れば女性かと思えたが、体つきを見ると男性のようだ。そして次に目に入ったのは腰の少し下から生えている細長い尻尾だった。
 世の中にはさまざまな種族の者がいると聞くが、こんな種族を見たのは初めてだった。ひょっとすると人型のモンスターだろうか? しかし身なりからしてまだ若い少年のよう。尻尾を除けばれっきとした人間だ。それに体のいたるところに傷をつけ、夥しいほどに流れる血を見るとやはり放ってはおけなかった。
 片の頬を湿った地面にくっつけてぐったりしている彼は、駆け寄ってきた少女には無反応であることからして意識はないようだ。微かに聞こえる小さな呼吸を聞き取ることができた時は、少女もホッとため息をついた。

「よかった、生きてる……。でも……傷だらけ……」

 彼の見えている頬はいくつものかすり傷で少し腫れており、肩から肘にかけてはそこら中の 小石や草が付着し、傷も分からないくらいに真っ赤に染まっていた。同じように手のひら辺りもそうであった。あの飛空艇から落ちたか飛ばされたときに受身でも取ろうとしたのだろうか。
 小さい傷も多ければ、見るに耐えないほどの傷もあった。少女は苦しい表情を浮かべる。

「私にできるかわからないけど……」

 そう言いながら彼女は、汚れるのも気にせずその場にぺたんと座り、少年の肩辺りに両手をかざした。大きく深呼吸をして、かざした両の手を眉をひそめて睨み、そのままじっと微動だにせず見つめ続けた。
 すると少女の手のひらから白く眩い光が現れた。はじめは霞のような、霧のような白くて丸い塊みたいな光のようだったが、次第にそれは大きさと明るさを増していった。



 明るく大きくなってゆく白い光の塊は、ゆっくりと少年の体を包もうとしていた。

「う……」

 きっと少年の声だろう。目が覚めたのか、それともうなされているのだろうか。とりあえずは本当に生きていることが確認できたので、少女は両手から溢れる光を見つめ続けるなか、心の中で安堵のため息をついた。

「きみは……?」

 その声に少女は彼の顔を見る。少年が目を開けていた。強い光に照らされて細められたまぶたから覗くのは、また照らされてエメラルド色に輝くきれいな瞳だった。
 こちらからは少年の顔がよく見えたが、彼はまばゆい光を当てられ視力があまり機能しないようだ。それなのになおも懸命にこちらを見ようとしている。こんな中でも状況を掴もうとしているのだろうか。
 敵意はないことの証明も、はっきり見えているかどうかも考えず、ただ単にもう大丈夫だと伝えるつもりで少女は彼に向けて笑顔を作った。しかしその直後に両手から溢れる光が瞬時に減少し、ハッと気づいた少女は再び自分の両手に目を向け真剣に見つめ始める。

「あたたかい光……」

 一瞬の彼女の笑顔が見えたのか伝わったのか、それともただ意識が朦朧としているだけなのか、少年はやわらかい表情を浮かべ、眩く光る少女の白い光を瞬きもせずに見ていた。



 ――――そのやわらかい表情を見たのはほんの一瞬だった。

「……!!」

 急に目を見開いた少年が、声ともとれない声を漏らし、素早く動いたのだ。それには少女も肩を上げて驚き、その拍子に白い光も霧のように消えてしまう。だがそれもほんの一瞬で、次の一瞬には目の前に倒れていた少年の姿はなくなっていた。



 しかし本当に彼の姿が忽然と、跡形もなく消えてしまったと言えば、それは違った。
 その証拠に、彼の声がした。

「失せろ……!!」

 その言葉の意味は考えられなかった。
 大きく発せられた声が頭上から聞こえたということと、それと同時に何か鋭いものが、収められているものから抜かれるときの独特の音が傍で聞こえたこと、それから腕を強く握られたということ。それだけが一瞬の間で少女の身に起こったからだ。
 強く握られた腕を引っ張られ座っていた足が崩れて、少女はその場でよろめいた。片腕の自由が利かないこともあって、彼女はバランスを崩し座ったまま地面に倒れてしまうかと思った。が、掴んでいる手の力はそうさせてくれなかった。

「消えやがれ!!」