06.プリマビスタ船内にて
魔の森にその身を打ちつけ、もう二度と空へは飛び立てないだろう飛空艇の中へ足を踏み入れたは、船内のその薄暗さに少々悪寒を感じていた。
配置されている電灯は機能しているものとしていないものがまばらで、それにより明るさも場所によってはほとんど見えない箇所も存在し、彼女の感じる不気味さを増す要因になっている。
木材の焼け焦げた独特なにおいと、うっすらとうごめく煙がまるで霊のように辺りを覆うが、の少し前を歩くバクーはそれを気にも留めず、ずかずかと歩いていく。
彼が歩くたび、ぎしりぎしりと木と木がこすれあう足音はの何倍も大きく、もしかすると拍子に抜けてしまうのではないか、と彼女は幾度か不安になることもあった。
「ねえバク ー、この船には何人いるの?」
薄暗い劇場艇の船内を歩くなか、が一番不思議に思ったのはその船員の数だった。
今はもう一部が潰れ大破しまった飛空艇だが、飛行しているときのその大きさから、彼女が予想した乗船人数は優に百を越していた。なのに、ここへ来てから出会った船員人数は数える程度。今は船内だと言うのにすれ違う人などおらず、人がいると思えば先程顔を会わせた男たちばかりで、自分が想定した人数には到底達しそうな気配もない。
怪我人の救出を主な目的としてやって来たは、いささか腑に落ちなかった。
「んあ?そうだな、俺たちタンタラスが10人ぐらいでー、あとはラヴ・レイダース音楽隊のやつらだから……20人もいねえな」
「そ、そんなに少ないの!?」
の声が少し遠くまで響く。
「少ねえか?」
「少ないよ!200人くらい乗ってると思ってたのに……」
「そういや収容人数は300人近くいけるな」
「そんなに乗れるのにどうしてこれだけしか……」
「そりゃあ、団員がそんだけしかいねえからだろうが」
当たり前だろうと言わんばかりにあっけらかんとした物言いでバクーは言った。その言葉に更にあっけにとられたは、大きくため息をつく。
「飛空艇なんていくらでも小さいものがあるでしょう。わざわざ劇団専用のここまで大きな船を使わなくても……。宝の持ち腐れじゃない」
「そいつぁ心外だな。俺たちゃリンドブルムでも名高い劇団タンタラスだぜ。一流は一流の劇場艇を持ってねえと、他の小劇団たちに示しがつかねえだろ。おめえも小さい頃はよく乗せてやったんだぞ?ま、ドックに入ってる時だけだけどな。覚えてねえか?」
「……見たことがあったから、なんでかなって思ってた。バクーと一緒だったんだ」
「俺の貴重な時間を割いてやったって言うのにそれだけかよひでえな。んじゃ飛空艇嫌いは治ってないんか?」
バクーのその質問に、はあからさまに嫌な顔をする。小走りでバクーを追い越し、彼より少し前に出たところで歩くと、彼女の表情が少しだけ悲しげなものに変わった。
「べつに嫌いじゃない。ただ……あの人を思い出すから」
「そう邪険にしてやんな。あいつはあいつでおめえのことをだな」
「そういえば!他の怪我人達は大丈夫なの?」
彼の言葉に被せるようにしては言う。前を歩く彼女の表情はバクーに見えなかったが、その口調は少々刺々しくあった。
「……ああ。歩けねえ奴もいるが命に別状はねえ。ほとんどの奴は動けるかんな。んっとに悪運つええやつばっかだ」
下手な話題の変え方に何も言わず、口の端をつり上げながらバクーは言った。
「そういやジタンは大怪我したんだってな、助けてくれてあんがとよ」
彼の名前を聞いたは、劇場艇に入る前に森の奥へ入っていったジタンをふと思い出し、ようやくバクーへ視線を向けた。
「ジタンさん……一人で行かせてもいいの?」
「船の周りを見に行かせただけだ。すぐ戻ってくらぁ」
「ならいいんだけど…」
「しっかし、あれだけの傷、よっく治せたもんだな。白魔法はほとんど使えないんじゃなかったのか?」
「それは…」
は彼から目をそらして前を向き、少しだけうつむく。その視線の先には、ジタンを助けるときにつけた指輪が輝いていた。
「それ、使ったんか」
いつの間にかの横を歩いていたバクーは、の視線の先のものを見る。次に視線を移した彼女の表情に何かしらの思いを感じ取ったのか、そこで立ち止まった。
隣で歩みを止めたバクーにつられてか、も足を止める。
「いいことじゃねえか、あいつも喜ぶわ」
にかっと屈託のない笑顔を浮かべると、彼は大きいその手をの頭に乗せた。船の外でやったような荒々しい動きはせずに、加減を意識しポンポンとたたく。
「そんな話はいい!ねえバクー、バクーはどうしてこんなところにいるの?」
頭におかれたバクーの手を払いのけたは、眉をひそめて彼に捲し立てる。
「そりゃおめえ、飛空艇が墜落したからだろ」
相も変わらず、上手く話題を変えられない目の前の少女にやはり何も言うこともなく、ただ口許を吊り上げてバクーは言った。
「そうじゃなくて……。じゃあどうして墜落したの?」
のその一言で彼は急に表情を変え押し黙った。
「バクー?」
「何でここにいる、か。おめえ、同じこと聞かれて素直に答えんのか」
今さっきまで笑っていたバクーの顔に笑みはもう無かった。先程とはうって変わった彼の口調と、突然重くなってしまった場の空気には戸惑う。
思い返してみれば、ジタンにもバクーにも自分がここにいる理由は話していなかったとは焦った。それどころではなかったと言えばそうだが、特に話そうとも思っていなかったは、自分の掘った墓穴に心の中で悔いる。
「あの、それは……」
「ずらー!!」
少しの間の後、重い口を開こうとしたの言葉に被さって、この空気には似つかわしくもないなんとも間抜けな叫び声がどこからか聞こえた。
「なんだ、シナか?おーい、どうしたぁー!」
男の叫び声より遥かに大きい声が隣でこだまする。は思わず耳を塞いだ。
シナというのはジタンを連れてここへ来たとき、始めて会った小柄な男だっただろうか。そう思って顔を思い出そうとするだったが、どう記憶をひねり出そうとしても大きく揺れる厚い脂肪しか甦らなかった。
「ボ、ボスー!ちょっと来てずらー!はやくーー!!ボスー!!」
彼の声は次第に大きくなっていく。よく耳を凝らせば彼の叫びは元来た方向からのものだった。
バクーはなんとも面倒くさそうに舌打ちをすると、の方を向きなおし、彼女の後ろにある階段を指差す。
「、そこの階段を降りた正面に扉があんだ、その先の部屋でちょっくら待っとけ。どこにも行くんじゃねえど」
そう言うと彼は踵を返し、シナという男の声が聞こえた方へどすどすと歩いていく。なおも響き渡る男の叫びに適当に返事をしつつ、特に急ぐといった様子も見られないまま飛空艇の薄暗さに消えていった。
バクーの背中が見えなくなるまで見送ると、あれ以上追求されなかったことに胸を撫で下ろし、は振り返って階段へと歩みを進めた。