04.惨状のなか

 上空から見た飛空艇の炎の勢いは先ほど見たときよりも随分と治まっているように見えた。
 近づくにつれて森に住む動物やモンスターたちが騒ぐ声がいっそううるさく聞こえ、炎の軽い熱気も伝わってくる。

「みんな無事でいてくれよ……」

 まだ血の乾ききっていない腕で額を拭いながら、ジタンは独り言のように呟いた。

「そろそろ下に降ります。ほぼ真下に降下するから飛ばされないようにね」

 後ろのジタンを見もせずには言う。

「真下?危ないならゆっくり斜めに降下すれば……」

「もう森は夜です。真っ暗な辺り一帯に樹木が密集してるから、例え飛空艇を燃やすあの炎が辺りを照らしているとしても、とうに沈んだ日の光なしじゃ樹木のない所へを着陸させるのは簡単なことじゃないの」

「そうか……。下手に降下すればは勿論、乗っているオレたちまで樹木の枝や葉に切り裂かれてズタズタになるな」

「急角度に降りるのも木々が繁って開けた道がないからで、真下に降下するのはそのせい。ゆっくり降下するのも、この巨体じゃ限界があるから」

「……飛ばされないようにしないとな」

 ジタンが冷や汗をかくそのすぐ前で、は必死に不気味な暗い魔の森を睨む。

「あった。そこの枯れた樹の横。いける?」

 前かがみになってに話し掛けると、彼は小さく鳴いて了解の意思を表す。すると何の合図もなしには両の翼
をバサバサと羽ばたき始めた。

「掴まって!」

 の声がしたかと思うと、ジタンは体が宙に浮くような感覚にとらわれた。それを疑問に感じる間も与えられず、は急降下を続ける。 ジタンはどんどんと自分の体重が軽くなっていくような気味の悪い感覚を覚えた。地面と自分が反発しているようで、しかしそれに負けまいと抵抗しているようで、ひとたびこのグリフォンの背中から手を離せば、吹き飛ばされ先程のような大怪我を追わずにはいられないだろうな、と、そんなことも考えた。



「怖かった?」

 それもつかの間、気付けばは無事に地面へと着陸し、どこか楽しそうな彼女の声が自分より下から聞こえた。いつの間にかはもうの背中から降りている。
 はっとしたジタンは慌てての方を向き、ぎこちないが笑顔を作って見せた。

「君の慣れよりマシさ」



 遠くで見たときと、目の前でじっくり見たときの飛空艇の惨状は酷いようで何ともなく、何ともないようで酷かった。
 まず、飛空艇を渦巻いていた炎は上空から見たときよりまた随分と小さくなっていた。飛空艇自体の火はほとんど消し止められていたのだ。あんなに赤々と燃え上がっていたように見えたのは、墜落の爆発で周りの木々に燃え移った炎だったのだろう。それも今はほとんど勢いをなくしている。
 しかし飛空艇の状態といえば最悪という言葉しか思いつかず、まだかろうじて空を飛んでいたときの姿とは似ても似つかない酷さであった。
 ジタンは劇場艇とも言っていたが、あの船体の後部にある装飾の派手な部分はステージだろうか、煌びやかに、色とりどりに飾っていたのだろうが、今は真っ黒なあるいは真っ白な謎の物体と化して煙を上げている。
 そこらに散らばっている木屑はこの飛空艇の柱や外装だったものなのだろう。今さっきまで空を飛んでいたということが疑わしいほどのその飛空艇は、遥か昔からそこにあったかのようで、恐ろしいほどこの不気味な森に調和していた。



 ふと、その潰れた飛空艇に、は目を奪われた。船体後部にステージ、大小さまざまなプロペラ、かすかに残っている装飾類の色……。なぜ目が行くのだろうと考えようすると、どうしてか落ち着いてはいられなくなった。
 じっと見ているうちに気のせいだという予感もしてきたが、何もかも細かいことは考えずに、結論だけ述べるとすると、はこの飛空艇をどこかで見たことがあった。
 そうだ、名は確か――――

「プリマビスタ……」

 ポツリと呟いたの言葉に、ジタンがびくりとしてこちらを見 た。

「なんで知って……」

「ジタン……? ジッ、ジタンジタンジタン! ジタンずら!!」

 やかましいほどに自分の隣にいる男の名を連呼する声に驚いて、は飛び上がるくらいに驚いてしまった。妙な語尾のある声が聞こえた方へ目を向けると、比較的小柄な中年の男がこちらへ走ってきていた。

「シナ!」

 少しお腹の大きめのこの男性はそういう名前なのだろう。ジタンは小走りで彼のもとへ駆け寄っていった。どうやら同じ飛空艇の乗船者らしい。
 その後ろから同じ仲間だと思われる男の人が次々と駆け寄ってきた。ひとりは赤毛で頭にベルトのようなものを巻き、ひとりは目を覆うまで深くバンダナをし、その腕にはたくさんの入れ墨が施されてある。最後の2人はどこからどう見ても同じ人間にしか見えなかった。

「ブランクたちも……。お前ら無事だったんだな! 」

「みんな悪運が強いんっス」

「俺らにしちゃあお前が無事だってのが驚きだよ」

 バンダナの男は屈託のない顔で笑むジタンに同じような笑みを作って返し、赤毛の男は彼の背中をバンバン叩いて声を出して笑った。その楽しそうにしている姿からして、本当に再開できたことを喜んでいるのか、普段からこう騒がしいタイプかのどちらかなのだろう。

「そうずら、飛行中の飛空艇から飛び降りるなんて無茶しすぎずら」

 日頃運動はしていないのだろうか、小柄な男は膝に手をあてゼイゼイと息も絶え絶えであった。その呼吸のたびに臍の出たやわらかそうな腹のお肉がたぷんたぷんと揺れる。周りの男たちは見慣れているのか、まるでそれこそが日常茶飯事のように振舞っていたが、初めて見るには、その滑稽な姿がただただ噴出しそうになる要因に繋がるだけで、男たちの知らないところで笑いを抑えるのに必死になっていた。

「ジタン、血が付いてるでよ」

「怪我したんでよ?」

 予想も何も同じ格好をしていることからして、この2人は双子だろうとは思っていたけれど、全く同じ声に同じ仕草に少々の驚きもあり、小柄な男より妙に思える語尾もあってか、はもしかしたら高度な魔法か何かでひとりの人間が2人にわかれているのかもしれないなんてことも考えてしまった。

「ああ、それはあの子が……」

 言いながらジタンはこちらへ向く。なぜ途中で言葉が遮られてしまったのかと言えば、騒がしかった男達が皆そろって口をつぐみ黙り込んだからだ。
 せめて治してくれたまで言って欲しかったとは思った。
  しんと静まり返った男達の目は全員ではなくの後ろにいるものに向けられていた。この先は大体予想できる。
 案の定、男達の中のひとり、ジタンにシナと呼ばれていた小柄な男がこちらへ指を指し、わなわなと震えて声を上げた。



「モ、モモモモモモモンスターずら!!!」

動揺に満ち溢れた一人の男の声がこだました。



「で、でかいでよ……」

「ボスを呼ぶでよ……!」

「さっそく出やがったなバケモノ!」

「わー! 待った待った!!」

 重そうな長剣を握り締め、身構える赤毛の男は眉間にしわを寄せてを睨む。それに何か殺気のようなものを感じたのか、剣を向けられたは威嚇の鳴き声を上げた。その鳴き声に少々驚かされたのが気に食わないのかどうなのか、赤毛の男は更に睨みをきかせたが、素早くあいだに入ったジタンに遮られてしまった。
 鳴き声に驚いた他の男たちも赤毛の男のような長剣を構えたり、ジタンと同じような短剣を取り出したり、中にはとんかちを握り締めて向かっていこうとする男もいた。ジタンはそれらをやんわりと止めそれぞれの握る武器を下ろさせる。刃の切っ先が向けられなくなると、先程まで警戒心を剥き出しにしていたも少し落ち着いた様子を見せた。

「なんだよジタン、こんなバケモノ連れて来やがって」

「だから、こいつ……このモンスターはバケモノじゃないって」

「でもモンスターずら」

「モンスターだけど普通のモンスターとは違うのさ。人は襲ったりしないんだぜ?」

 武器は下ろすには下ろしたが状況は大して変わらないままだった。下ろせと言われてただ武器を下ろしただけであって、それぞれの手にはまだ武器が握られている。

「この子は私のです。私が指示しても人を襲ったりなんかしません」

 まだジタンにも会っていない時の、乗船者を助けてやりたいというあの気持ちはどこへ行ったのかと自分で問うほどに、の言葉は刺々しかった。

(こんなに大勢に敵意を向けられるなんて…。こっちが何かをしたわけじゃないのに……)



 無論のその言葉では、男たちの気が落ち着くわけもなく、辺りは張りつめた空気に包まれる。

「それにさ、オレはこの子に助けてもらったんだぜ? 飛空艇から吹っ飛ばされて大怪我負った見ず知らずのオレを、何も言わずに助けてくれたんだ!」

 この空気を読み取ってかそうでないのか、ジタンは身ぶり手振りを加えて男たちを説得する。

「それにこいつ触っても大人しいし、むしろ乗ったって嫌がらない…あそうそうオレをここまで運んでくれたのがこいつなんだよ!これがまたスリリングでさ……」

 自らの経験を細かに伝え、安全だと言い聞かせてくれているジタンにはありがたいと思う傍ら、ひとりそれを全く聞かず、だけを睨む人物がいることに彼女は気づいた。
 あからさまな敵意をに向け、隙あらば握りしめた剣でこちらに切りかかってくるのではないかと思うほど、赤毛の男はばかりを睨んでいるのだ。
 勿論も気弱に目をそらすことは全くなく、向けられた謂れのない敵意にいよいよ腹が立ち、それを倍にするように彼を睨み返した。



「てめえら何してんだ! さっさと仕事せんかーい!!」

 低く、快活な男の声が聞こえた。
 今は潰れた飛空艇を、前に一度見たことがあるという不思議な感覚を覚えたからか、こんな声がそろそろ聞こえるだろうという自身でも不可解な直感がうっすらとあった。気味の悪い感覚など気にしないようにしていたのだが、本当に聞き取ってしまったことに彼女は肩を上げて驚いた。

「おお? ジタンじゃねえか、生きてやがったか。くたばっちまったかと思ったぞい」

 まだ煙の上がる飛空艇から出てきた男は縦にも横にも大きかった。どたんばたんと大きな足音を立ててジタンのもとへ歩み寄ると、返事を聞こうともせずに大きな手で彼の頭をどかどか叩く。
 このでかい図体も、こんな風な周りを気にしない様も、にはどこか覚えがあった。まるであの飛空艇とセットになって記憶されているような、そんな気がしてならない。

「もしかしたら……」

 思い出そうと記憶を辿っていくと、ある可能性とぶつかった。
 漏れた声をでかい図体の男が聞き取ったのか、に目を向けると、まるで一瞬のうちに凍ってしまったように彼はピクリとも動かなくなった。少しの間を置いて、いきなりこちらへ歩き出したと思えば、さきほどジタンにやったのと同じように大きな手をの頭の上へ置くと、そのままぐちゃぐちゃともみくちゃにしてきた。

「ガハハハ! によく似たガキがいらあ!」

「や、やっぱりバクー?」

 撫でるという言葉を知らないのかと思うほど、彼の手が動く度にの頭はがくがくと揺れてしまう。頭に乗せられた彼の手の上から自分の手で押さえつけるが、あまり意味はなかった。
 その光景を、回りにいた男たちは怪訝な目で見つめている。

「なんずら、2人は知り合いずら?」

「俺が知るかよ」

 バクーという男が手を引っ込めたあとの、散々かき回されたの髪は乱れに乱れていた。それなりに手入れのされた肩につくかつかないぐらいの髪は、男達から見ても綺麗な方だと言えるのだが、今はお世辞でもそんなことは言えないだろう。言えばそれはそれで失礼だ。

「ねぇ、何でバクーがこんな所にいるの? あの飛空艇はどうしたの? この人達は――」

「いっぺんに聞かれても俺ん口はひとつしかねえぞ。聞きてえなら質問には順順に答えてやるがなあ、先ずは場所を移動だ。こんな所じゃ話もできねえ。ま、話以前に今は大変なことになってっけどな!ガハハハ!
 そうだ、おめえらも仕事しろ! 怪我人はまだいるんだ! 使えそうな荷物はまだある。火を完全に消すことも忘れんな!!」

 おそらくが口にしたバクーという名の男はこの男達のリーダーのような存在なのだろう。彼の大声に叩かれた男達はジタン以外走って飛空艇の中へと急いだ。中には去り際にに意味ありげな一瞥をくれたものもいたが、はそれは気に止めないようにした。
 バクーは男たちを見送り、そのまままたずかずかと歩きながら飛空艇へと戻っていこうとするが、途中で止まり、またの方へ戻ってきた。かと思えたのが、彼は彼女を通り越しての前へ出ていた。
 彼はゆっくり手をの頭へもっていくと、からその手に顔を摺り寄せてきた。バクーはにやりと笑うとその頭をポンポンと叩いた。やジタンの扱いとはかなり違う。2人は少々気に食わない顔をした。

「元気してたか、おまえ」

とも知り合い だったのか」

? こいつか?」

 バクーはに触れていないもう片方の手で彼を指差した。

「私が付けたの。バクーはいつもおまえとか、おいとかしか呼ばないからね」

「ガハハハ! 付けたってすぐ忘れちまうからな! でもいい名じゃねえか、なぁ?」

 バクーがさっきより力を入れての頭を叩く。はそれに嫌な反応は全く見せずに小さく鳴いた。その声に満足したのか、バクーはに触れるのを止め、飛空艇へと戻っていく。

「おう、汚ねえとこだがまあ入れ。中の火はほとんど消えてるから安心しろ。外は危ねえからよ。こんな潰れ船でも、おめえぐらいなら守れんぞ」

船体の横に大きく空いた穴を入り口と言うのが正しいのかには分からなかったが、そこでまた騒がしい笑い声を響かせ手招きする久しい友人に、はなんだかホッと安心したような気持ちが溢れ、小走りに近づいていった。