03.救える命

 きつく握り締められた腕に痛みといえる痛みは感じなかった。少年の手にこびりついた小石や砂が付着する事も気にはならなかったし、真っ赤な鮮血が彼の手から自分の腕に伝ってくることにも構いはしなかった。ただ少女が気になったのは、どうして今こんなことになっているのか、ということだ。



 倒れている傷だらけの少年を見つけ、駆け寄って回復魔法を施そうと手をかざしたら、驚いたことに魔法が発動される前に彼はその手を握り締め、立ち上がり力任せに少女を扱った。消えろ、とそんな感じの言葉も言っていた。
 頭上から聞こえる彼の声は、言葉からしてとても優しいだとか穏やかだとか言えるようなものではない。ほとんど何も考えられない少女は少年へと目を向けた。
 少年は短剣を逆手に握り締めていた。小刻みに震えているのは、精一杯の力で握っているか、恐怖を感じているかのどちらかだろうか。それを確かめようと、少年の顔を見ようとしたが叶わなかった。彼の顔はこちらを見下ろしてはいないからだ。見下ろすも何も、少年は少女の反対方向を向いていた。そうしてよく見れば、少女が今いる位置は少年の後ろになることがわかった。そして彼に握られた短剣も彼女へは向けられず、少年の正面へと構えられた。

「失せろ、バケモノ!!」

 少女は悟った。自分が何故少年の後ろにいるのかも、少年が何に短剣を向けているのかも。

「やめて!」

 そう叫ぶと、少年がこちらへ向くと同時に腕も力も少し弱まった。
 少女は瞬時に彼の腕を振り解くと、彼の前へ出て、後ろの方で大人しくしている巨大な鳥をかばうように両手を広げた。
 唖然とする少年。あれだけ力を入れて握っていたかで震えていた短剣も、今なら手の甲を軽く叩いただけで簡単に落ちてしまいそうだ。

「え?」

 そして声が漏れた。そこで少女は初めてまともに少年の顔を見ることができた。
 暗いこの辺りには目立つ金髪。青がかかった翠の瞳。それに頬は傷と泥で赤く黒く汚れ、その顔全体は驚いた表情でこちらに向けられていた。

「短剣をおろして! あの子はバケモノなんかじゃないし、あなたを襲ったりなんかしない!」
 始めは少年を見据えて、次に首を少し横に動かし巨大な鳥を横目で見て、そして最後に少年をまた見た。

「それにそんな大怪我してるのに」

 無茶をするな、と言いかけたがそれは言葉にならなかった。少年が急に膝を屈めたからだ。

「……っ」

 うずくまる彼の姿を見て、少女は後ろの巨大な鳥を一瞥してからまたすぐに少年の側へ寄り、彼の横で膝をついた。

「動いちゃだめ…!」

 痛みに顔を歪める彼の表情を見て、少女も険しい目を向ける。折角閉じようとしていた傷口も、先程の彼の行動で開いてしまったようだ。
 彼の着ている服が見る見る血に染まっていく。今まで見たこともない出血の酷さに少女はいよいよ泣きそうになったが、そんなことしている場合ではないと心のなかで自分に言い聞かせる。

「でも、こんなに深い傷……!」

 慌てて少女は再び彼に向けて両手をかざし、力を込める。しかし、先程の白い光は欠片も現れず、何も起きない。

「うそ…こんなときに……!」

 いくら力を込めようと両手を睨み付けようと、相も変わらず少女の手から光が出ることはない。ただむなしく時間が経過するのみだった。

「そんな……!ね、ねえ…目を開けて!」

 完全に地面へ伏せ、先程まで苦痛に声を漏らしていた少年は、少女の声には一切反応をしなかった。わずかばかりの呼吸の音は聞き取れたが、このままでは一番恐れたものが彼に訪れてしまうだろう。少年に向けられた少女の両腕は、小刻みに震え始めていた。

「どうして…さっきはちゃんと…!」

 震える両手にまたありったけの力を込めると、何故か余計な震えが増していく。ただそれだけで、光は現れない。

「お願い…!お願いだから早く…!!」

 少女の頬に涙が伝う。歪んだ視界にぼやけて写る少年の顔色が青ざめていくのを、彼女は恐怖の目で見ていた。



 高く短く、静かな鳴き声がした。
 ハッとして振り返ると、巨大な鳥が少女のすぐ後ろへ来ていた。

……」

 巨大な鳥は、少女の頬の涙をぬぐうように嘴をすり寄せる。少女はその嘴に少し触れてから、巨大な鳥の首もとに片腕を回し、自分の顔を押し当てた。

「ごめん、いま慌てちゃだめだよね」

 もう一度、聞きなれた鳴き声が少女の耳元で静かに響く。

「大丈夫。ありがとう



 少女はすくっと立ち上がり、巨大な鳥の背中に装着してある、革で留めただけの簡易的な鞍に手をやった。
 作りは簡単だが、少しばかり重い荷なら積める革袋から少女が取り出したのは、手のひらに乗るほどの布の塊だった。
 それを手に取り、巻かれていた布を取り外したそこには、大きな石が装飾された指輪が残った。

「……」

 少女はほんの一瞬、ためらうかのようなこわばった顔でその指輪を見つめる。しかし次にはそれをすぐ指に通し、再び少年の隣に駆け寄り、彼の側で膝をついた。

「待ってて」

 少女の声になんの反応もない彼をみても、不思議と先程のような焦りは起こらなかった。



 少女は両手をかざし、幾度目かのまなざしを自らの両手へ向け、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。

「力を貸して……」

 大きな白い光の塊がまばゆく輝き、少年の身体を包んでいく。



「ねぇ、大丈夫?」

 彼女の呼びかけはこれで何度目になるだろうか。流石に回復したばかりの体を揺することはできないと思った少女だったが、代わりに声が大きかった。
 わずかだが白い光はまだ彼女の手に残っていた。それを片方だけ彼の腕に置き、もう一度少年に声をかけようと口を開いた時、少年の眉間にしわが寄り、体が少し動いて、そして目が開いた。

「きみは……?」

 少年が目を覚ましたことの喜びか、同じようなことを言われた為か、少女は少年の顔を見てふっと笑った。

です」

「え?」

「私の名前。あなたの名前は?」

 呆然としていた少年ははっと気付くと体を起こし、頭の高さを少女と同じにした。そこでやっと彼女の言葉の意味がわかったらしく、教えられた少女の名を一度口にすると、微笑んで彼女を見た。

「ジタン」



「立てますか、ジタンさん」

「あ、ああ。が治してくれたのか? それに……そのモンスター」

 と名乗った少女は立ち上がり、巨大な鳥のいる方へと歩み寄ると、振り返ってそう言った。同じようにジタンと名乗った少年が立ち上がるところを見た彼女は、ホッとため息をついて巨大な鳥の首もとを撫でた。
 先ほどこの少年、ジタンがバケモノ呼ばわりした巨大な鳥は、彼の怪訝そうな目つきで見られながらも、撫でられるの手に身を委ねていた。

「白魔法はあまり得意じゃないから血まで消せなかったけど……それにこの子はグリフォンだけど悪い子じゃないよ」

「グリフォン?」

 ジタンの不思議そうな顔を見たは、あっと思いついたように声を漏らした。

「この大陸にはいないモンスターです。でもは人間の言うことはちゃんと聞くし、人を襲ったりなんて絶対しない」

「そっか、ごめんな。って言うんだなお前」

 ついさっき短剣の切っ先を向けて睨んでいた巨大な鳥、グリフォンであるが大人しくに撫でられているのを多少恐々しく見つめていたジタンは、勇気を出しての横に並び、その体に触れてみた。
 ふさふさした羽毛がこわばっている彼の気持ちを和らげたのか、ジタンは次第に笑顔になり、遠慮がちだった手つきは緊張を忘れ、も今しがたのジタンの殺気さえ感じられなかったのか、何もなかったかのように彼の優しく撫でる手を受け入れていた。
 安心したように目を細めるを見たはふっと笑みを漏らし、の背中に飛び乗った。

「乗って」

 彼を見下ろしたあと、森の一点を見つめては言った。

「ジタンさんはあの墜落した飛空艇の人でしょう? 今からそこへ行きます。この子に乗るのは怖いかもしれないけど」

「っそうだ、オレ劇場艇から落ちたんだ!! すぐに行ってくれ、!」

 の言葉を遮るようにして彼の声が響いた。そして驚いたことに彼はいとも簡単にの体に手を置いてひょいと背中に乗ってみせた。あっという間に自分の後ろへ座ったジタンに驚きの表情を隠せないだったが、すぐに彼の言葉を頭に叩き入れた。

「飛んで!」
 


 魔の森のどこかで赤い炎が木々を燃やしている音が聞こえる。
 そのすぐ側で、鳥とはかけ離れた巨大な何かの羽音が響いた。